団塊ジュニアおひとり様のひとり言

50代未婚。田舎の実家に高齢の両親を残し、都会で独り暮らししながら運送会社に勤務。年収300万円未満。近い将来親の介護で離職してたちまち貧困に陥るのではないか、あるいはもっと先には誰にも看取られず寂しい孤独死が待っているのではないかと常に不安を抱いている団塊ジュニア世代。

キャプテン翼が連載終了

日本サッカー界に多大な影響を与えたサッカー漫画「キャプテン翼」が連載終了というニュースを目にした。

 

芸能やサブカルに関してあまり報道しないNHKがニュースで流すほどなのでよほど大きな出来事だということだろう。

 

他にも政府の記者会見で林官房長官が連載終了について言及したということだから「キャプテン翼」という漫画がどれほど影響力のある作品だったかがうかがえるというものだ。

 

主人公の天才サッカー少年大空翼の夢はワールドカップで日本を優勝させることだったので、ついに念願かなってワールドカップで優勝して連載が終了したのかと思ったら、どうもそうではないらしい。

 

長年連載を続けてきた体力の限界と、漫画の執筆にもデジタル化の波が押し寄せ、手書きにこだわる作者、高橋陽一先生は作品制作のために必要な画材が手に入りにくくなったという理由で連載を終了するということらしい。

 

僕は正直「キャプテン翼」がまだ連載が続いていたことを知らなかったので、まだ連載されていたことのほうが驚きだったが、なんと43年間も連載が続いていたという。

 

キャプテン翼」という作品は僕ら団塊ジュニア世代にとっても思い出深い作品だ。

 

キャプテン翼」は、ワールドカップで日本が優勝することを夢見る天才サッカー少年大空翼静岡県南葛市に転校してきて南葛SCを結成して、岬太郎や若林源蔵といったチームメートと共に全国優勝を目指すところから始まる物語である。

 

僕らが小学生の高学年に差し掛かるころに連載が開始され、「キン肉マン」や「ドラゴンボール」、「北斗の拳」などと並んで少年ジャンプ黄金時代を築いた伝説的漫画だ。

 

当時「キャプテン翼」を読んでサッカーを始めた人も多かったと思う。

 

学校の校庭でドライブシュートタイガーショットの練習をした少年は一人や二人ではないはずだ。

 

僕の同級生にも新学期の自己紹介で、夢はワールドカップで日本を優勝させることです!と言ってるやつがいた。

 

僕はサッカー部に入ったりはしなかったが、ボールを買ってもらって家の前の道路でリフティングの練習をよくしていた覚えがある。

 

漫画も少年ジャンプを毎週読むだけでは飽き足らず、「キャプテン翼」の単行本も中学生編まで全巻買っていた。

 

それ以降のジュニアユース編で当時はまだ西ドイツの「皇帝」カールハインツ・シュナイダーとの対決あたりまでは読んでいたのだが、そのあたりから少年サンデーで連載されていた大人気野球漫画「タッチ」のほうに興味が移っていたためか、あまり憶えていない。

 

僕のサッカーへの興味はその程度で終わってしまったが、その後のサッカー界の発展は目覚ましいものがあった。

 

今では信じられないが連載が開始された昭和56年(1981)当時サッカーはあまりメジャーなスポーツのイメージが無く、僕は「キャプテン翼」を読むまでワールドカップなんて知らなかった。

 

スポーツニュースで報道されていたのはプロ野球以外だと大相撲か、バレーボール、あとは新日鉄釜石神戸製鋼が強かったラグビーだろうか。

 

僕の感覚ではあの頃はサッカーよりラグビーのほうが人気があったんじゃないかな?と思う。

 

不良が跋扈するラグビー部を立て直して全国優勝を成し遂げるという大映ドラマの「スクールウォーズ」も大人気だったし。

 

サッカー選手は釜本さんくらいしか知らなかったし、サッカーチームも、とんねるず木梨憲武で有名だった帝京高校や清水商業といった強豪校くらいは知っていたと思う。

 

社会人チームでは東京ベルディーの前身の読売サッカークラブと(当時我が家は巨人ファンの父が読売新聞を購読していたから)、読売と優勝争いをしていた横浜F・マリノスの前身の日産自動車サッカー部くらいしか知らなかった。

 

それが「キャプテン翼」が大人気になってから、あれよあれよとサッカー人気が高まって、僕が大学生の時にプロリーグであるJリーグが開設された。

 

1994年のドーハの悲劇を経て今ではワールドカップ7回連続出場の常連国にまでなっているなんて、「キャプテン翼」は本当に偉大な漫画だと思う。

 

今後も下書きのような形でウェブサイトで発表し、いつかはAIが考えたストーリーで復活するかもしれないとのこと。

 

先日、「ドクタースランプ」や「ドラゴンボール」、「ドラゴンクエスト」といった、僕ら世代にとって欠かせない思い出を作ってくれた鳥山明先生が亡くなり、時代の移り変わりを感じたばかりだが、また一つ、一時代を築いた名作が終了したことで僕らの青春が遠くに去ってしまったことを実感した次第である。