昭和46(1971)生まれ、団塊ジュニア世代、お一人様。
今日も愛知県の片隅で細々と生きています。
日銀が17年ぶりに金利を見直すという方針転換を発表した後も円安傾向は一向に止まらず、ついに円相場が34年ぶりの154円台に突入しましたね。
輸出産業はウハウハかもしれないけど、原材料価格が値上がりしてモノの値段はこれからますます上がるのでしょうか?
コロナ禍のころまでは3~4日に一度の買い物で3000円前後で済んでいたものが、今では同じようなものしか買っていないのに5000円を超えてしまうことがあります。
世の中は少しずつ賃金上昇の流れが起こりつつありますが、斜陽産業の零細企業に勤め、政府が積極的に進めている支援対象の若者でも子育て世代でもない僕のところにその流れが来るのはいつのことか、永遠にやってこないかもしれません。
バブル崩壊直後に社会人となり、景気のいい時期を一度も経験することなく、失われた30年と言われる時代を生きてきて「忘れられた世代」とか「見捨てられた世代」とも呼ばれる僕ら団塊ジュニア世代。
そんなことを考えながら、ふと34年前って何していたかなと思い返してみると・・。
約34年前といえば平成2年(1990)。
団塊ジュニア世代で昭和46年(1971)生まれの僕は19歳。
高校を卒業した年だ。
どんな年だったか調べてみると海外で大きな出来事がたくさんあった年でした。
冷戦が終結し、ベルリンの壁が崩壊したり東ヨーロッパで民主化が進んだりと時代が大きく動いていた時期ですね。
また、国内でも今でも記憶に残っているような大きな出来事がたくさんありました。
- マイク・タイソンが東京ドームでジェームス・ダグラスに敗れ、統一世界ヘビー級王座から陥落
- ローリング・ストーンズ初来日
- ポール・マッカートニー初来日
- 現:上皇さまが天皇即位の礼を行う
- スーパーファミコン発売
当時バブル絶頂期だった日本でジャパンマネーによって世界のビッグネームが次々に来日していたんだなぁー。
翌年にはバブルが崩壊し、30年にも及ぶ長い停滞の時代が来ようとは日本人のほとんどは夢にも思わなかった。
多少景気の悪い時期が来たとしてもジャパンアズナンバーワンと言われる日本がこのまま続くと思っていました。
僕自身も高校を卒業したら大学に通って、大学も卒業したらそれなりの会社に就職し、30歳までには結婚して、親世代と同じように家族を作って60歳で定年退職という昭和時代の中流家庭の人生を送ると思っていました。
ところがこの1990年、僕は受験に失敗し、浪人して予備校に通うことになりました。
人生初めての挫折です。
歴史に興味を持っていた僕は歴史の勉強がしたくて歴史学部がある大学をいくつか受けたのですが、滑り止めの経済学部の大学も含めて全て落ちてしまいました。
言い訳になってしまいますが僕ら団塊ジュニア世代は大学の進学率が急激に上り、熾烈な受験戦争を経験した世代です。
1990年はその後2020年まで実施された大学入試センター試験の最初の年でした。
当時はほぼ国立大学のみの参加だったので私立大学しか受けていない僕には関係ありませんでしたが、受験制度が変わって少しストレスを感じていたことを記憶しています。
半分は合格しているのだからお前の努力が足りなかったのだと言われればそれまでなのですが、僕が受験した1990年の大学不合格率はなんと48.3%で、2人に1人が受験に失敗しているそうです。
ちなみに志願者の数はほとんど変わらないのに2021年の不合格率は8.7%なんだとか。
中学や高校の同級生にも受験に失敗して同じ予備校に通っているやつが何人もいました。
世の中に予備校生があふれていたせいか、予備校生が主人公のドラマ「予備校ブギ」や漫画「冬物語」が大ヒットしていました。
東京の大学を受験した友達は、固く閉じられた早稲田大学の正門にしがみつき「わせだぁ~」と叫びながら号泣する女性を目撃したそうです。
僕とは別の予備校に通っている友達の話では、そこには6浪している人が通っていたとそうです。
翌年に、願書さえ提出すれば合格できるとうわさされていた滑り止めの3流大学になんとか合格し、風呂とトイレが共同で食事つきという学生寮のようなアパートに住んだのですが、そこに住んでいた同学年15人のうち現役合格は5人だけで、僕を含めて9人が1浪、1人は2浪でした。
このアパートで知り合った同級生とは今でも付き合いのあるやつが何人もいるので自分にとっては宝物のようないい思い出ではありますが、今振り返ると受験の失敗がその後の人生を暗示するプロローグだったのかもしれないと考えてしまいます。
過去を変えることはできませんが、これからの未来を明るいものにすることは努力次第でできると思います。
人生のエピローグがハッピーエンドになるためにはどうすればいいのか、人生計画をしっかり考えて行動していきたいとおもいます。